報道の自由ねえ・・・
NYタイムズ記者を収監、情報源秘匿の証言拒否で
取材源秘匿の米紙記者収監 証言拒否で米連邦地裁
普段は論調の違いが際立つこの二紙でもこの件についてはほぼ同様の見解を出している。
ところで本当にこの問題が「報道の自由の侵害」等と大上段に構える話なのか、個人的には疑問である。「報道の自由」が合衆国憲法にせよ日本国憲法にせよ、自由主義国家で認められた権利だとしても、「法(この場合は法廷侮辱罪)を超えた憲法的権利」なのだろうか、はっきり書けば「匿名情報源の秘匿」というのは「報道機関に認められた権利」というよりは「報道機関が持つべき職業的倫理」に過ぎないと思う。
「匿名情報源の秘匿」は報道機関が公に求めるものでは無く、「情報源」に提供する報道機関側の(少なくとも法律的には)約束でしかない。その意味で「私自身、法を超越した存在ではない」という覚悟の上で収監に従ったNYタイムズ紙の記者の態度は、「市民としての義務」と「職業者としての義務」を同時に果たしたとして褒めることもできるだろう。これがどこかの新聞記者だと簡単にゲロした挙句に「報道の自由を破る暴挙」と言い立てるのだろうが、「社会の公器」という看板は特権階級然に振る舞うことではないこともまた当然のことでは無いか?「マスコミです」と言えば全てが許される考えているような安物が多いことも確かだ。
今週の週刊新潮ではあの桜井良子氏も当然のようにこの判決を批判していたが、普段、氏が良く表現で使う「社会的良識」という面からすればこの批判は、あまりにもステロタイプ的すぎるのではないだろうか?
「報道の自由」とは「報道することの自由」であって「報道のためなら何をしても自由」ということでは無いことは当然であろう。
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