評価を変えた?元担当弁護士。
この発言当時この弁護士及び弁護団は
「死刑を求刑されてきた被告人が、国家権力に対し、せいいっぱい発した抗議の言葉とも思える」
「彼は自分であの場で『闘って生きる宣言』をするほどに成長した。この法廷で一番命の通った言葉だった。」
と「国家の横暴と戦う若き勇者」のごときに扱う積極的評価をしていたはずですが?
どこで評価を変えたのでしょう?そして変えた理由はなんなのでしょうか。
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お邪魔します。
>どこで評価を変えたのでしょう?そして変えた理由はなんなのでしょうか。
「(置かれた)状況」ではないでしょうか。彼の言葉は「(置かれた)状
況によって変るもの」だったのでしょう。
コメント by ブロガー(志望) — 2007/12/5 水曜日 @ 23:47:48
人の一つの行動は、必ずしも善100、悪0というように単純に区分けされるものではないのでは? 彼がカッとしたのもしかたのない面もありますよね。弁護人がそういう彼を必死でかばおうとするのは理解できると思いますが。どんな凶悪犯罪をおかした人間でも、非難されるだけでは決して反省したり、更正したりはできない。それはいい、悪いではなく、人間というのはそういうものだと思います。第一、検察官の挑発行動をあなたはどう評価しますか? よい年をした大人が、裁かれている年少の被告人に対して、ありもしない事実をこしらえて、挑発する行為を汚いとはお思いになりませんか? まして1・2審の判決と証拠(鑑定書)とが異なっていたことは事実です。そのことに目を向けるのが成熟した社会人ではないのでしょうか。
コメント by stan — 2007/12/9 日曜日 @ 3:33:21
犯した罪を償うということを無視した弁護は如何なものか?
殺人を犯した事実を覆い隠そうと屁理屈を言うのは社会人として許されるの?
コメント by 変だね — 2007/12/11 火曜日 @ 17:22:02
>犯した罪を償うということを無視した弁護
そうは思いませんね。被告人がやったことはやったこととして認め、やってないこと(例えば、赤ちゃんを頭上から叩き落としてはいない。これは検察官の捏造だと言ってるわけです)はやってないこととして主張しているのではありませんか。つまり、正確な弁護を志しているのが今の弁護団だと思いますよ。
>殺人を犯した事実を覆い隠そうと屁理屈を言う
これも同じですね。「事実を覆い隠そう」としているのではなく、やったことは認め、やってないことは認めないというスタンスだと思いますが。つまり、殺人の計画や意志はなく、パニック状態になって結果的に死なせてしまった、と言っているわけです。これはそんなに不思議な主張ではないと思いますが。
コメント by stan — 2007/12/13 木曜日 @ 0:34:09