2006/5/25 木曜日

共用部分の公開は危険 でもビラは配らせろ

Filed under: メディア — clash @ 22:34:37

単一事件の評論としては正解だろうけど、他の要因もあわせて考えると「一貫性の欠けた主張」でしかなく・・・・
共用部分の公開は危険、でもビラは配らせろと東京新聞


わが家なのに誰でも出入り
全国で小学校低学年を狙った犯行が相次ぐ中、仙台市のマンション八階に住む小学校四年の女の子が転落死する出来事が起きた。宮城県警が事件性を捜査中だが、三月には川崎市で男児が投げ落とされ死亡する事件があっただけに子どもを持つ親は穏やかでいられない。外廊下などマンションの“共用部分”に潜む死角とは。

 「マンションの共用部分は多くの矛盾をはらむ場所になっている。物理的には道路以上にいろいろな人が緊密に存在できるが、住民はプライバシーを大切にしたいという意識が強く、誰にも干渉されずに生活できる場としてのメリットを感じている。このあたりのズレにどう折り合いを付け、意識の死角をなくしていくかが防犯性を高める鍵だ」

この解釈で「マンションの廊下は私有地」という至極当たり前の事実をキチンと理解出来ているとすれば、同じ場所で起きた事件での評論はどうなるんだろうか?

「マンションの廊下での不審者の排除は当然」となれば、住民でもないのに入り込んでビラを配っている人間も当然「不審者」。
そういう統一性を考えないで、その場しのぎの文章を書くことで「社会の木鐸の役割を果たしている」と自己満足できる仕事はうらやましいな。
しかも最後のデスクメモがいやらしい

<デスクメモ>
 新聞記者として、女の子が「夕刊を取りにいくため」不幸に遭ったことに涙する。どうして小学校に通う、いたいけな子どもばかりが犠牲になるのか。登下校の安全ばかりか、家に帰ってからも命の心配をしなければならないのか。親の混乱は極まるばかりだ。この国の何かがおかしい。何かが壊れている。 (蒲)

「この国の」なんて書き方をしてぼやかしているが数日中には「数字達成を成功とする政権の影響」とか書くつもりなのが見え見え。
時の政権の影響なんかより、「社会的協調より個人の満足感」を優先してきたこの60年間のひずみが出てきたと考える方が自然だろうに

No Comments/Trackback »

この記事にはまだコメントがついていません。

コメント RSS TrackBack URI

コメントをどうぞ

HTML convert time: 1.362 sec. Powered by WordPress