2006/3/22 水曜日

自分達への批判は許さない自由?

Filed under: 政治 — clash @ 23:46:58

「自称平和団体」っていうのは、こうやって自分たちの活動の場を狭めた挙句に「軍靴の音が!」って叫んで、さらに殻に閉じこもっていくのでしょう。
「政治的発言、被爆者は自粛を」平和推進協の要請に波紋

 「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」と記し、具体例として(1)天皇の戦争責任(2)憲法(9条等)の改正(3)イラクへの自衛隊派遣(4)有事法制(5)原子力発電(6)歴史教育・靖国神社(7)環境・人権など他領域の問題(8)一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)
の順で示している。

はっきり言ってどれ一つとっても「核兵器廃絶」にはリンクしない事ばかり、というかまるでどこかの政治団体の話と一致するものばかり

 代表の舟越耿一(ふなこえ・こういち)長崎大教授(60)は「原爆は戦争という時代の中で落とされた。いま日本は戦争への準備を始め、核戦争の脅威も迫る。『政治』を抜きに語れない」。8項目を選んだ理由も不透明だと指摘する。
この言い回しに不自然さというか「特定の政治集団臭」を感じないとすればかなり不自然で、第一この教授が考えなきゃいけないのは
 推進協によると、以前から被爆者の証言について「話が聞きにくい」「主張が偏っている」という声が、学校などから寄せられていた。丸田徹事務局長(60)は「このままでは話を聞いてもらえなくなるし、中立性を保つことが必要だと考えた。文書は撤回しない」と話す。
という聞く側からの言葉に対する対応であるべきで、「如何に聞かせるか、聞いてもらうのか」という事。

 推進協は83年、原水爆禁止運動の分裂をきっかけに官民一体の幅広い組織を目指して生まれた。政治的に意見が違っても、核兵器の廃絶と平和の実現という「最大公約数」で団結しよう。今回の要請はその方針の再確認が狙いだったという。
本来の目的を忘れて「自分達の存在誇示」が目的となっているんでわ無いでしょうか。
去年の甲子園の追悼騒ぎと同様で、広島と長崎がいつの間にか「(運動方法を含めて)批判してはいけない存在」だとでも考えているのだろうか?
それこそ「社会全体が言論の自由を軽視するようになるのは心細く、寂しい」だと思うんですが・・・・

No Comments/Trackback »

この記事にはまだコメントがついていません。

コメント RSS TrackBack URI

コメントをどうぞ

HTML convert time: 1.558 sec. Powered by WordPress