数値化してみればこういうこと
中共政府は靖国参拝を一貫して問題視していたのか?
1978年8月12日 日中友好条約締結
1978年10月17日 靖国神社がA級戦犯の合祀を行う。
1979年4月19日 「A級戦犯の合祀」をマスコミが報道
以降の歴代総理による参拝
大平正芳 :1979年〜1980年(3回)
鈴木善幸 :1980年〜1982年(9回)
中曽根康弘:1983年〜1985年(10回)
1985年8月の中曽根(当時)総理による参拝を中共政府が非難し、現在まで続いている。言い換えれば中共政府はそれまで現職総理による靖国参拝を問題視していなかったのである。
ではなぜ1985年に突然非難を始めたのか?1985年といえば日本敗戦(中共風に言えば抗日勝利)40年にあたるが同時に当時事実上自民党を支配していた田中角栄氏が病床につき、その支配力が消えた年でもある。
田中角栄氏と言えば日中国交回復当時の首相であり、自民党親中派として現在まで続く田中派〜竹下派〜旧橋本派の創設者である。
一方中曽根氏は自民党反共派の代表であり、1983年総理就任後は日米同盟強化を進めた政治家である。
(1983年の「不沈空母発言」を思い出してほしい)
当時党内少数派閥出身であった中曽根総理は、最大派閥の田中派支配下にあったのだが、1985年の田中派分裂以降独自路線を進みだしたのである。親中派の田中氏支配から逃れた中曽根総理は、当然日米協調路線の下「アメリカが日本を守る」形の日米安保条約から「日米が共同して東アジアの安定化を図る」日米安保条約へシフトし始める。当時の同盟は「対ソ連」という名目で始められたものであるが、中共政府が自分たちへの脅威となるのでは?と恐れを感じたとしても不思議ではあるまい。
(なんといっても相手は「反共」を公言して憚らない政治家2名だったのだから)
しかし「対ソ戦略」の一環として米国を利用していた中共政府が、米国を含めた形で「日米同盟強化批判」を表立って行うことは、当時としては出来ない選択であっただろう。そこで出てきたのが靖国参拝非難だったのではないか?
以上の事は全て私の想像に過ぎないが、少なくとも中共政府による靖国参拝非難は、日中国交開始後の一貫したものではなく、政治的状況の変化によって作り出された物である事は明らかである。その程度の事を「外交問題」などと称して騒ぐ必要は無かろう。
「A級戦犯が合祀されている神社を参拝することの是非」はせいぜい「国内問題」どまりの話であり、本来は「個々の信念」の問題である。
行きたい政治家は行き、行かない政治家は行かなければ良いだけである。
参考URLフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
使用キーワード
首相、大臣の靖国神社参拝問題
田中角栄
中曽根康弘
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TITLE: その通りですね
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全く同感、これは完全に国内問題です.
コメント by 遊楽庵 — 2005/6/1 水曜日 @ 15:28:44
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A級戦犯合祀前の30年間、合祀後の20年間について、中国の外交は一貫している。
理由はどうあれ、日本の日米安保を除くどの外交事案より一貫している。
きちんと対策を考えたほうがいいんだよ。
コメント by Leoneed of Podol — 2005/6/4 土曜日 @ 19:48:10